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新幹線で行く大阪・京都(5)

角倉了以邸跡から歩いてすぐの道路向かい側に、桂小五郎・幾松の寓居跡があります。

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現在は幾松という料亭になっておりますが、長州藩控え屋敷があったところで、二人はしばしばここで、過ごしたそうです。

この控屋敷では、命の危険にさらされながらも、志士たちが密かに会合を持ち、そのためか屋敷には鴨川へ通じる抜け道や大石を仕掛けた吊り天井など、危急の場合に備えた仕掛けがあり、現在も一部が保存されているとのこと。

幾松は三本木の吉田屋から14歳で舞妓に出され、芸事に秀でていたために二代目幾松を襲名し有名な芸姑になり、桂小五郎に出会ったと推測されている。

少し年配のボランティアガイドが数人を案内しながら説明しているのを横で聞いていました。もちろん中には入りませんでしたが。

その後、桂は木戸孝充と名を改め、この屋敷は木戸別邸となり、幾松は木戸松子と名を改め明治19年44歳で亡くなるまでこの地に住んだそうです。

松子が使っていた部屋は現在もそのまま残されており、近藤勇との対決のエピソードが残る長持もそのまま置かれているとか。

長持ちをめぐるエピソードとは、幾松が酒を買いに行く途中、新撰組の姿を見かけ、桂に知らせるために屋敷に戻ると、桂は新撰組と戦おうとしますが、幾松が部屋にあった長持ちに隠れるように説得した。

新撰組が踏み込んで来て、屋敷を探したが見つからず幾松の部屋へ踏み込んできた。そのとき幾松は長持ちの前に座り三味線を弾いていた。

近藤が部屋に入ってきて、その長持に手をかけた時、幾松はバチで近藤の手を払い、「これほど屋敷内を改めて私に恥をかかせた上、もしもこの長持ちの中にどなたも居ないとなれば、近藤はん!責任を取ってこの場で切腹してくれはりますか?その覚悟がおありどしたらどうぞ改めておくれやす!」と...

この幾松の度胸に近藤は「すまなかった。」と言って立ち去ったそうです。

次は、幾松の道路向かい側に「佐久間象山・大村益次郎 遭難の碑」があります。

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元治元年(1864年)7月11日、木屋町を馬に乗って通りかかった佐久間象山は、刺客に襲われて斬られ絶命した。

象山は信濃(長野県)松代藩士で、洋学、砲術を学び開国論を唱え、勝海舟、坂本龍馬、吉田松陰ら、多くの俊才を教育した。この時は幕府の命で上洛し、海防の相談に与るとともに公武合体を進めていた。

時は池田屋事件の直後でいきりたっていた攘夷派は学者象山の説も受け付けなかった。

それから5年後のの明治2年(1869年)9月4日、木屋町通りの東側にあった宿所で、大山益次郎が刺客に襲われ、その傷がもとで11月5日大阪の病院で没した。

益次郎は、周防国(山口県)長州藩士。家は医者であったが、医学と共に西洋兵学を学び、兵学の第一人者となって、幕末の長州軍を率い、戊辰戦争の指揮を取り活躍した。ついでに明治政府の兵部大輔となり近代兵制(国民皆兵など)の創立に努力した。そのために不平派士族に襲われたとされる。

幕末の京は、暗殺、襲撃、と気に入らない者を抹殺する物騒な世の中だったらしい。

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投稿: ユートラベルノート | 2012年3月27日 (火) 12時05分

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